ずいぶん前
フリチョップ・カプラの「タオ自然学」にて
シヴァの「コズミックダンス」についての記述を読んだ。
カプラは、素粒子の粒でありながら、波である、相補性に
踊るシヴァ神の物語を重ねていた。
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「世界さん」が「つくる」とき
「私」たちは「きづく」役を担う。
同時に、「私」たちが「つくる」とき
「世界さん」は「きづく」役を担ってくれる。
「私」たちは、それぞれに世界の一部分として
ときに「つくる」役をこなし
ときに「きづく」役をこなす。
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どちらも「世界」の一面であり、
どちらも「世界」が創造を楽しむためには不可欠な存在である。
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「世界」が「つくる」と「私」がきづく。
「私」が「つくる」と「世界」がきづく。
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「私」たちは、皆が皆、それぞれに
「世界」とダンスを踊っている。
私は命ある限り、この「世界」とのダンスを
思いっきり楽しみたいと思っている。
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