私には、大きなもの、複雑なものの本質を探ろうとするとき
それらを擬人化するという考え方のクセがある。
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さて、あらゆる事象の総体を世界と呼ぶとして、その「世界」の本質を探るために
「世界」さんと擬人化してみよう。
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「世界」さんは、それはそれはとても大きな巨人だ。
「世界」さんにとって「私」たち人間は、
アリよりも、原子よりも、いやきっと素粒子ほどに小さい存在。
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さて、
「世界」さんは「つくるで遊ぶ」が大好きだ。
「世界」さんは、この世界で起こす「あらゆる事象」をつくりだしている。
「私」たちが認識できる「あらゆる事象」は「世界」さんにとっての作品ともいえる。
そして「私」たちは、その作品の鑑賞者である。
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偉大なアーティストの作品も誰かの目に触れなければ存在しないのと一緒だ。
それと同じように「世界」さんのつくる「事象」も、誰かに認識されなければ、存在しえない。
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「存在する = つくる × きづく」
なのだとから
「世界」さんのつくるあらゆる「事象」という作品も
「私」たちの誰かに気づかれなければ、存在し得ない。
ゆえに「世界」さんにとって
「私」たちは掛け替えのない存在なのだろう。
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