私は毎晩のように納豆を好んでたべる。
が友人の一人は納豆がとにかく苦手で
「よくこんなものを」と冷たい目をむけてくる。
ごくごく当たり前のことだけれど
何を美味しいとするか、何を嬉しいとするか、それは人それぞれだ。
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「私」たちはそれぞれ身体のつくりも、脳のつくりも違う、
だから、同じものを見ても見え方が違う。
「私」たちはそれぞれ世界観も価値観も違う、
だから、同じものをみても解釈が違う。
「私」たちはそれぞれ居る時空間座標が違う、
だから、同じものをみても見る角度が違う。
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たとえば、新宿三丁目のスタバでさえ、
座る席がひとつ違えば、見える景色がガラリと変わったりもする。
ましてや、都市や国や時代が違えば、見えるものは全く異なる。
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「私」たちはそれぞれに「世界」さんに対して、独自の認識をもっていて
ゆえに、それぞれの「私」にしか気付けない、面白さや、楽しさや、美しさがあり得る。
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この文章を読んでいる、アナタが、いる、まさに、いまこの瞬間、あなたの身の回りにも
あなたにしか気づけない「事象」とその事象の面白さ、楽しさ、美しさがある。
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広大なこの「世界」には、
それぞれの「私」にしか気付けない
面白さや楽しさや美しさが、常に潜んでいる。
「私」たちが、それに気づかなければ、
その美しい点はこの世界に永遠に存在しえない。
「世界」には、それぞれの「私」にしか気付けない美点がある。
「世界」はその美点に気づいてもらうのを切望している。
だから「世界」にとって、
それぞれの「私」は取り替えのきかない、不可欠な存在。
これってすごいことじゃね?
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